人生の最後に答え合わせがしたい
あのとき告白してたら付き合えてたのかとか、今の結婚相手と出会ってなかったら今頃独身だったのかなとか、きっと誰でも考えたことがあると思う。
なんせ人生というのは選択の連続で、どこに行くにも何を食べるにも選択なのだ。
数えきれないほどの選択と、自分の力が及ばない物事との複雑な絡まり合いで、私の人生は進んでいる。
鶏肉を食べるという選択
自分の人生で、あれは大きなターニングポイントだったなと思える選択がある。
中学2年の時、親戚の家で鶏肉を食べたことだ。
どうにも味が変だった。食べるのをやめるという選択もできたが、親戚の家ということもあり全部食べるという選択をした。
そして一週間後、経験したことのない腹痛で入院。カンピロバクターだった。
そして数週間後、手足が動かなくなり再入院。ギランバレー症候群と診断された。
そして数か月後、中学校に戻るとかなり勉強が進んでおり、私だけ「√(ルート)」を教わらないまま学習期間が終わっていた。
鶏肉を食べるという選択は、「√」への苦手意識という結果をもたらした。
小さな選択、されど選択
大学選びなんてのは大きな選択だ。住む場所、就く職業、巡り合う人々、全てに影響するといっても過言ではない。
一方、今日の夕飯選びなんかは小さな選択に思える。今日がカレーだろうが肉じゃがだろうが、カレールーを買いに行くかどうかしか変わらない。
しかしそれだって分岐路に立っている。カレールーを買いに行く途中で雨に降られ、雨宿りのために寄ったコンビニで新作のアイスを発見。買って家で食べたところ、めっちゃ歯にしみて知覚過敏を自覚、なんてことにもなるかもしれない。
知覚過敏を自覚したから何なんだといわれると、言い返す言葉もない。
単に、こういった妄想を重ねるのが楽しいだけだ。
答え合わせがしたいだけ
テストなんかは、ここでBじゃなくCを選んでたら90点だったな~と答え合わせができる。
それを自身の人生にも重ねてみたい。選択次第でどういう未来が待っていたのか分かりたい。
あれを選んだのは間違いだったのか……と後悔したいわけではない。
あの日の夕飯でカレーじゃなくて肉じゃがにしていたら、知覚過敏に気づくのが遅れて歯周病が悪化していたよ。とか知って、ゲラゲラ笑いたいだけ。