一人称で遊びたい

男性と女性どちらのほうが大変とか、生まれ変わっても女性がいいとか、毎日のようにどこかで繰り広げられている議論。

私は男女どちらがいいと悪いとか言うつもりは全くないが、一つだけ、男性が羨ましいと思うことがある。

それが ”一人称” だ。


汎用性の高い「私」

ステレオタイプではあるが、女性は一人称として「私」を使うことが多い。

かくいう筆者も「私」を愛用している。

幼稚園の頃は自分のことを名前+ちゃん付けで呼んでいた時期もあった。

しかし言葉遣いに厳しい祖母から「もういい年なのだからその呼び方は止めなさい」と諭されてしまった。

筆者は郷に入っては郷に従い、長いものにはとりあえず巻かれておけばいいと思っている人間なので、それ以来ずっと、私は「私」だ。

 

実際「私」という言葉は汎用性が高い。

とりあえず「私」と言っておけば失礼にはあたらないし、公私どちらでも使える。「私」を使っておけばドン引かれることもなく、丁寧すぎて気を遣っていると思われることもなく、本当に便利な一人称だと思う。

それでも…

「私」は単体で使用しても、それ以上でも以下でもないのだ。


素朴な「僕」、ワイルドな「俺」、高貴な「私」

男性が使用する一人称は大まかに「僕」「俺」「私」が思い浮かぶ。

「僕」「俺」「私」を並べてみると、「私」単体では見えてこなかったキャラクター像が浮かんでくる。

「僕」は素朴な少年。動物が好き。

「俺」はワイルドな野生児。髪の毛が上を向いている。

「私」は高貴な仕事人。スーツが似合う。

男性はこのキャラクターを場面によって巧みに使い分けることで、いわゆる”ギャップ萌え”を容易に実現できてしまう。


ギャップ萌え

オラオラな見た目の人の一人称が「私」だと、おっこいつやるな…!となったり。

仕事のときは「僕」を使う人が、私生活では「俺」を使っていると、プライベートでは案外今どきの男性なんだなと感じたり。

実際、一人称の使い分けをしている人ってどれくらいいるのだろう。

自分をどう見せたいか、どう見られたいかによって使い分けてみると、絶対楽しい。


成長の過程

少年から青年へのアップデートには、「お母さん」から「お袋」への呼び方の更新と、「僕」から「俺」への一人称バージョンアップが含まれていると聞く。

筆者にも兄がいて、このアップデート対応は傍目から見て大変そうだった。

友達の間では「俺」を使い、家に帰ると「僕」に戻る。一進一退、日進月歩で徐々に徐々に自身と家族を「俺」に慣らしていき、やがて「俺」と聞いても何の違和感もなくなるまでに至った。

そこに至るまでの過程を味わえるのは男性ならではなのかなと思うが、自分は恥ずかしいし面倒なので、そこのところは「私」一強でよかったなと思う。


今日の短歌

少年は僕から俺へと更改し PJ大人の一歩目を歩む