実家と、家族と、

久しぶりに実家に帰った。
飛行機の距離の我が家。
久しぶりに見る家の外装は年季を帯びた色に変化し、水槽のメダカは増えていた。


父方のおばあちゃんは、帰る度に背が低くなっている。
つい数年前まで、私を見ては「あれ、〇〇ちゃん、また背が伸びた?」と聞かれていたが、背が低くなっているのが自分のことだと気が付いたようで、最近はもう聞かれなくなった。

母方のおじいちゃんは、「生きている間に使わないと、もったいないからなあ」と言い、集めて飾るだけだった高級茶器を引っ張り出してお茶を飲むようになった。

母方のおばあちゃんは、数年前まで人前ではウィッグをかぶっていたけれど、
最近は陽に当たるとキラキラ光る白髪を隠さなくなった。

父は定年を迎え、海へ山へと駆け回っては魚や山菜をご近所さんにおすそ分けするような、立派な色黒のおじさんになった。

母は長年かけていたストレートパーマをやめ、あちらこちらに自由に広がる天然パーマを活かした髪型になっていた。

誰もがみんな年齢を重ね、一歩ずつ着実にゴールへと歩んでいる。
それは悲観的なことばかりではなく、これまで向き合ってこなかった本来の自分自身と対話し、受け入れるということなのだと思う。

私がまだ実家で暮らしており、父の髪の毛に白髪が混じるようになった頃のことを時々思い出す。
歯磨きをしようと洗面台に向かったら、鏡の前で父が自分の髪をじっと見ていたのだ。
ただそれだけのこと、たかがそれだけのことだが、ずっと忘れられない。
あまりファッションにこだわりがない父でもやっぱり白髪が生えてきたことはショックなんだと、年を取ったことを受け入れるのはそう簡単なことではないのだと。

毎日だと気付きにくいけれど、誰もが必ず年を感じる瞬間がある。少しずつできなくなることが増え、それを受け止めた先には何が待っているのだろう。

そんなことを考えつつ、最近痛むようになった腰をなだめながら帰路の飛行機に乗った。